奈良高畑より糸のみほとけ展

国宝の綴織當麻曼荼羅図の修理が成ったとのことで、繍仏の特別展を開催している奈良国立博物館へ行くことにした。

 

まずは山の辺の道を辿り白毫寺へ。山門と破れ築地が夏の空の下にとても映える。高円山の端ではあるが大和盆地を一望することができ、天智天皇の子の志貴皇子の山荘があったとされる景勝の地である。志貴皇子の万葉の歌碑もあった。戦国期の兵火で焼かれ、江戸期に再興された。宝物殿では間近で仏様を見ることが出来る。本尊の阿弥陀如来像はなかなか人間味のあるお顔をされてる。閻魔大王像の脇侍である司命・司録半跏像の姿勢と表情に躍動感と迫力が感じられた。

 

北へ向かい新薬師寺へ。新薬師寺とは「新しい」薬師寺でという意味ではない。霊験「新たか」な薬師寺という意味である。

なんどもなんども見ているが、毎回十二神将像にはその存在感に圧倒される。あまりに暑かったので休憩がてらに奥の座敷で涼みながら十二神将像の本来の彩色シミュレーションのビデオを観賞。本来の彩色を想像することは仏像拝観の楽しみの一つでもあるのだが、特に天平の極彩色を想像するのはとても楽しい。

 

そして奈良国立博物館へ。

聖徳太子を偲んだ天寿国繍帳は返し縫というそれほど技術的に高度なものを使っているとは思えないのだが、飛鳥時代の彩色や刺繍がいろも褪せずに綺麗なのに対し、鎌倉期に補修した部分の傷みが激しいというところに驚いた。また亀卜などとも関係があるのか亀甲模様に銘文を入れ、ちりばめているのはおもしろい。

国宝綴織當麻曼荼羅折口信夫死者の書では非業の最期をとげた大津皇子の霊をなぐさめるべく中将姫が一夜で織り上げたとされる。この物語がとても好きで長年一度はみてみたいと思っていた。

曼荼羅とはいうものの密教における両界曼荼羅ではなく釈迦の観無量寿経の内容を図示しているものであり、浄土信仰のはしりともいえる内容である。また鎌倉期にはすでに傷みがあったようで、それ以降多くの転写本がつくられた。

修復なったとはいえ現物をみていると細部についてはよくわからない。だが、備え付けのタブレット端末で細部を確認できるようになっており、ありがたかった。

それにしても大きな曼荼羅図である。とても一夜で織り上げられるようなものではないことはわかる。技術的にもかなり高度なものであるらしく当時の日本で製作したとは考えにくく唐よりの舶来品であったようである。

その他の繍仏の絵柄としては釈迦三尊と阿弥陀三尊を対にしたものや、釈迦如来阿弥陀如来を一枚に描いた二尊のものなどが目立った。これらも浄土信仰を基に釈迦が送り出して阿弥陀が迎え入れるというところから多くつくられたデザインである。逆に薬師如来の繍仏はあまりなかった。

繍仏には故人の髪を織り込むことも多い。もちろん全てを髪で製作することはできないが、仏を梵字で表す印の部分や仏の頭頂部などに織り込み供養としている。おもしろかったのは仏の頭部と袈裟に織り込んだものがあるのだが、その髪色は日本人離れした美しい茶色だった。

 

仏像館へもゆく。

勝手なものでいつもは流しながらみている青銅器コレクションが、韓非子項羽と劉邦を読んだ直後のせいかとてもおもしろい。

学生時代から見ていた降三世明王金剛寺へ里帰りしてしまったのは寂しい。

いつも目を奪われるのが仏像館の回廊で最後の部屋にある如意輪観音坐像。鎌倉期の作。30センチほどの高さで小さく重文でもないのだが、造形、表情、バランスすべてが整っていて美しい。如意輪観音のふくよかな姿が単に自分の好みなのだけかもしれないが。

 

帰路にふと目をやると飛火野でカップルが鹿に囲まれながら結婚式の写真撮影をしていた。40度近い炎天下の草原でウエディングドレスと鹿の群。カメラマン共々たいへんそうだが、当事者には忘れることのない写真となるように思った。