当尾の里から南都へ

雨上がりの奈良を歩く。

大和国の北端。当尾の里とよばれる木津川南岸の山中に浄瑠璃寺岩船寺がある。

山中とはいえすぐ対岸の恭仁京の北には海住山寺もあり、天平華やかなりし時代には仏に帰依する貴族や学僧などの往来も多かった地域だったのだろう。

浄瑠璃寺本堂の阿弥陀如来は九品往生の考えによって九体造られている。そのため九体寺とも。ここのものは基本的には同じ像だが、東京の九品仏浄真寺はそれぞれ表情が違う。

本堂の前には広大な池があり、池と庭園越しに望む三重塔が美しい。阿弥陀如来のある本堂の前に広大な池を配置するというのは浄土を表現している。宇治の平等院や平泉の毛越寺などと同じである。

特別開扉の吉祥天如像はふくよかでユーモラスな表情だった。

 

浄瑠璃寺から岩船寺までは石仏のみちを辿る。山というのは三輪山そのものが信仰の対象であったように仏教伝来以前の神であった。山を信仰するのは本来は遊牧民のものであり、仏教伝来より遥かに前に泰山信仰のようなかたちで日本に入ってきていたのだろう。その山中に多くの磨崖仏が彫られているのは本地垂迹のはしりなのではないかと考えた。

岩船寺は山中の窪地に造られている。紫陽花にはすこし早かったが、窪地の縁から見下ろす三重塔と緑のコントラストが鮮やかである。特別開扉の弁才天像などを拝観。 この辺りの山寺の仏像は明王蔵王権現など密教修験道が多分に入り混じっていてとても面白い。

 

奈良盆地へ下りて奈良国立博物館へ。春日大社信仰の特別展を拝見する。

春日大社といえば本地垂迹の総本山ともいえる神社。春日曼荼羅やら鹿曼荼羅など、もはやなんでもありのような印象をうける。よくいえば日本人の信仰や教義に対する涙ぐましい工夫や努力ともとれますが、ええかげんさともとることができる。個人的にはこのような劇画風の信仰は理屈っぽくなくてとても好きではある。